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- 日本と台湾の関係史2024年02月03日狭山与太郎のどですかでん・・・の干支が「乙未乙未(きのとひつじ、いつび)は、干支の一つ。干支の組み合わせの32番目)同じ1895年には李氏朝鮮で閔妃暗殺事件(びんひあんさつじけ・・・
- Lc41.激動の朝鮮近代史年表2022年11月11日韓国朝鮮 社会と歴史のトリビア・・・傑それとも?(ミョンソンファンフ明成皇后)』第5章 朝鮮の人物-48 近代5明成皇后ミョンソンファンフ 今回は閔妃こと明成皇后について述べます・・・
- 「歴史の回想・日清戦争」日清間の国境問題。 川村一彦2024年01月13日歴史の回想・川村一彦・・・士族反乱である佐賀の乱が起こった。日本が政変で揺れていた1873年(明治6年)11月(同治12年9月)、朝鮮では、閔妃一派による宮中クーデターが成・・・
- 人間・漱石、晩年は病魔との闘い。49歳で永眠2024年05月18日嶋村初吉のブログ・・・ときのことである。途中、京城(現、ソウル)で下車し、植民地となった朝鮮の都に足を止めている。そのとき、想起したのが閔妃暗殺で、漱石は同情を禁じ得な・・・
- 続続886冊目『ことりっぷ ソウル』(昭文社)2024年05月11日図書礼賛!・・・、当然ながら、いにしえの姿をそのまま留めてはいない。また日本人としては、ここは日本が朝鮮半島を侵略するにあたって、閔妃を殺害した場所であることを思・・・
- 大醫治国ー医術の重み、『済衆院』で知る2024年02月10日嶋村初吉のブログ開国期を迎えた激動の時代は、第26代王・高宗が国王のときであった。国政は父親の興宣大院君と王妃・明成皇后(閔妃)の確執で混乱し、宗主国の中国のほか、ロ・・・
- 無謀といわれた戦争 そのうちのまず一つ その52024年05月07日「歴史」を「生きるヒント」にするためのブログ・・・国内で1882年壬午軍乱が起こります。 高宗の父である激しい攘夷派の大院君が1873年に引退した後、 高宗の皇后の閔妃らが実権を握っていましたが、・・・
- 朝鮮の事大主義へのこだわり2024年05月09日誇りが育つ日本の歴史・・・し、朝鮮国内では儒学者など開国反対派がおり、激しい闘争を繰り広げました。明治14年(1881年)、日本は、開化派の閔妃政権に武器供与して、日本軍人・・・
- 自国の利益を捨てアメリカ支配層に奉仕する日本人2024年04月13日きなこのブログ・・・90年。 その年から99年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めたという。 その当時、朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃(みんぴ)が対立していた。そ・・・
- 日米首脳会談の背後に明治維新から続くアングロ・サクソンの野望2024年04月16日真実は?・・・1890年。その年から99年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めたという。その当時、朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃(みんぴ)が対立していた。 ・・・