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- 日英外交関係樹立150年2008年10月27日kyojitsurekishiのブログ・・・島津斉彬と徳川家定が没した年である。そして、それから1世紀たったのが1958年、つまり長嶋茂雄の現役がスタートし、稲尾和久が連投で「神様、佛様、稲・・・
- 1958年(2008年における様々な「50周年」)2008年10月08日kyojitsurekishiのブログ・・・。○日本シリーズで水原茂監督時代、川上哲治現役最後の年、そして新人・長嶋茂雄を迎えた巨人軍が西鉄ライオンズと対戦。稲尾和久が4連投し、「神様、佛様・・・
- 1958年(2)――『巨人の星』『ドカベン』『男どアホウ甲子園』2008年09月28日kyojitsurekishiのブログ・・・、比較にならない。原辰徳もこの年に生まれた。日本シリーズでは巨人と西鉄ライオンズの対戦となり、西鉄は三連敗のあと、稲尾和久を起用して4連勝。稲尾は・・・
- 『野球狂の詩』で描く西暦1973年のドラフト2008年09月16日kyojitsurekishiのブログ・・・と同じ背番号110のユニフォームを着ていた。王島大介は地元・九州の太平洋ライオンズへの入団が期待され、ライオンズの稲尾和久監督も狙っていたらしい。・・・
- 『野球狂の詩・北の狼南の虎』2008年09月16日kyojitsurekishiのブログ・・・まだ阿蘇高校に在学中。甲子園で優勝。阪神タイガース(監督は金田正泰)が王島大介を1位指名。太平洋ライオンズ(監督は稲尾和久)が阿蘇高校の山川投手を・・・
- 1972年I――日中国交回復、与那嶺要が大砲万作を獲得2008年09月16日kyojitsurekishiのブログ・・・を獲得。番場蛮と対戦することになる。番場はオープン戦で、当時、稲尾監督と東尾投手のいた西鉄と対戦し、西鉄ファンから稲尾和久現役時代の再来のように言・・・
- TeaCupより>1958年1――星飛雄馬の少年時代2008年09月15日虚実歴史のブログ・・・スワローズの金田正一と対戦し、4打席4三振。日本シリーズでは巨人と西鉄ライオンズの対戦となり、西鉄は三連敗のあと、稲尾和久を起用して4連勝。『男ど・・・
- ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズ・球団史2008年09月15日虚実歴史のブログ・・・が宮崎から関東に戻り、川崎球場を本拠地とする。 1982年ロッテの落合博満が初の三冠王。 1984年から86年まで稲尾和久が監督。 1982~85・・・
- 野球漫画における西武ライオンズ・球団史2008年09月15日虚実歴史のブログ・・・ことばで「西鉄の中西(太)監督に止めをさし、休養に追い込んだのは、義理とはいえ父の近鉄・三原(脩)監督」が出る。 稲尾和久(1970年~1974年・・・
- 野村監督と王監督が星野ジャパン敗因分析【北京五輪】2008年08月25日虚実歴史のブログ・・・気持ちがわからない」、「視野が狭い」。 王貞治と川上哲治は投手だったが早々に1塁に移った。元投手で監督といえば稲尾和久、金田正一、藤田元司、堀・・・