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- もしも天明以降の元号が「一世一元」によるものだったら(江戸時代の元号)2018年10月17日kyojitsurekishiのブログ・・・8年…1789年…寛政元年…__09年…フランス革命1790年…__02年…__10年…大黒屋光太夫、航海日誌に「天明十年」と記す1791年…__・・・
- もしも江戸時代の元号が「一世一元」だったら(「江戸時代全般」書庫)2018年08月25日虚実歴史のブログ・・・~安永~天明である。この時代は「田沼時代」と呼ぶ方が簡単だ。寛政2年(1790年)、大黒屋光太夫はロシアで日誌に「天明十年」と書いたらしい。実際は・・・
- 2018年(平成30年、戊戌)5月18日tw、十干十二支と西暦と元号2018年05月22日kyojitsurekishiのブログ・・・遭い、翌年ロシアに漂着、1789年に元号が「寛政」になったことを知らず、翌1790年(寛政2年)になっても日誌に「天明十年」と書いていたそうです。・・・
- 鎌倉時代の始まりは1185年か、関連tw(2018年初め)2018年04月13日虚実歴史のブログ・・・屋光太夫は日本での改元(1789年、天明9年→寛政元年)を知らず、寛政2年(1790年)になってもロシアで日誌に「天明十年」と書いていたようです。・・・
- 鎌倉幕府関連tw2018年…鎌倉時代の始まりは1185年か、1192年か2018年02月12日虚実歴史のブログ・・・屋光太夫は日本での改元(1789年、天明9年→寛政元年)を知らず、寛政2年(1790年)になってもロシアで日誌に「天明十年」と書いていたようです。・・・
- 鎌倉時代の始まりは1185年か、関連tw(2017年末まで)2017年12月23日虚実歴史のブログ・・・屋光太夫は日本での改元(1789年、天明9年→寛政元年)を知らず、寛政2年(1790年)になってもロシアで日誌に「天明十年」と書いていたようです。・・・
- 西暦と元号、平成29年12月19日tw2017年12月19日虚実歴史のブログ・・・屋光太夫は日本での改元(1789年、天明9年→寛政元年)を知らず、寛政2年(1790年)になってもロシアで日誌に「天明十年」と書いていたようです。・・・
- 西暦と元号の問題、平成29年12月14日tw、#西暦と元号どっちがわかりやすい、南極の日2017年12月14日虚実歴史のブログ・・・寛政」になったが、ロシアにいた大黒屋光太夫は当然、改元の事実を知らず、1790年(寛政2年)になっても航海日誌に「天明十年」と記していたらしい。『・・・
- <teacupcopy済み>朝日新聞「流人をたどって」、大黒屋光太夫2016年12月27日kyojitsurekishiのブログ・・・寛政」になったが、ロシアにいた大黒屋光太夫は当然、改元の事実を知らず、1790年(寛政2年)になっても航海日誌に「天明十年」と記していたらしい。#・・・
- <teacup copy済み>『おろしや国酔夢譚』と『大黒屋光太夫』内容対照年表I2009年08月12日虚実歴史のブログ・・・_ 小説P.183_______宿舎で年越し___________________新書P.109_光太夫は日記に「天明十年」と記す___正月___・・・