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外曲輪から本丸へ行くには? ―東橋(羽生市)―2007年01月26日kunifurutone118のブログ・・・小さな橋で、車は通れません。ファミリーブックのすぐ北に位置し、「城橋」から用水路を下って次の橋です。羽生郷土史家の冨田勝治先生の研究によると、この・・・
葛西用水路の西も羽生城内だったか? ―士辺曲輪―2007年01月25日kunifurutone118のブログ・・・は小さく見られるようになります。すなわち葛西用水路以西は城内とは見なされなくなったのです。ところが、羽生郷土史家の冨田勝治先生の研究によると、羽生・・・
八幡神社(羽生市名)から望む“堀の内城"は?2007年01月22日kunifurutone118のブログ・・・遺構らしきものは何もありません。ただ、不動院周辺の田は深田であったという話が残っており、かつての堀跡を窺わせます。冨田勝治先生によると、利根川の堤・・・
羽生築城説、あとがきにかえて ―論文(12)―2007年01月17日kunifurutone118のブログ・・・しておきたい。以上、長々と羽生城築城について検討してみたが、御教示、御指導を頂けると幸いである。鳥邦仁(参考文献)冨田勝治著『羽生城―上杉謙信の属・・・
東谷の地形は羽生城を守れるか? ―論文(11)―2007年01月17日kunifurutone118のブログ・・・上杉謙信に属し、元亀元年を境に敵対勢力に囲まれ、孤立奮戦に追い込まれていったことは、羽生城通史を初めて明らかにした冨田勝治先生の研究によって知るこ・・・
羽生城主の系図はなぜ3つの姓が見えるのか? ―論文(7)―2007年01月13日kunifurutone118のブログ・・・継がず、広田姓を名乗っていたのか。また忠朝もなぜ初期に河田谷を称していたのか?この広田氏、木戸氏の関係については、冨田勝治先生の研究に詳しい。「羽・・・
羽生市小松に“城の前身"はあったか? ―論文(6)―2007年01月12日kunifurutone118のブログ・・・明寺)を再興。羽生城初期の段階において、木戸氏は小松神社や近隣の寺社に対し、積極的に働きかけた。これらをふまえて、冨田勝治先生は直繁・忠朝らが簑沢・・・
竹の内館主は誰か? ―論文(4)―2007年01月10日kunifurutone118のブログ・・・、はじめ東谷ではなく、簑沢に館を建てたのである。そしてそこに居館し、戦況に応じて次第に東谷へ修築、拡張していった。冨田勝治先生の研究に拠ると、竹の・・・
羽生城内はどこからどこまで? ―論文(2)―2007年01月08日kunifurutone118のブログ・・・具体的な調査は冨田先生の「城跡を探る」(『羽生城―上杉謙信の属城―』収録)、「羽生古城跡と所在の寺院に就いて」(『冨田勝治論文集』収録)に詳しい。・・・
大河ドラマ「風林火山」スタートにちなんで…… ―論文(1)―2007年01月07日kunifurutone118のブログ・・・してしまったことがその要因となっていよう。伝承は入り乱れ、羽生城史はいままで確固とした定説を持たなかった。しかし、冨田勝治先生の長年の研究は羽生城・・・
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