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戦後67年2012年08月19日虚実歴史のブログ・・・信長が誕生した。1600年の関ヶ原から67年後は1667年(1660年代)で、光圀が水戸藩主になって6年後であり、光貞が紀州藩士になり、浅野内匠頭・・・
『水戸黄門』第28部第17話「暴れん坊は紀州の若様」再放送2012年08月09日虚実歴史のブログ紀州藩主・光貞の三男・新之助(演:茂山逸平)が登場。ラストシーンのナレーションで、この新之助がのちの徳川吉宗であることが明確に示されていた。 第38部第・・・
『水戸黄門』第37部第23話「消えた水戸の若君」前編2012年06月29日虚実歴史のブログ・・・政は逼迫(ひっぱく)。 徳川吉孚が14歳であるから、1685年生まれで数え年14歳とすると1698年。紀伊大納言・光貞隠居の年である。弥七の知り合・・・
『水戸黄門』時代設定年表(第37部、第38部、第40部中心)・関連語句&参照2012年01月02日虚実歴史のブログ・・・詞で綱條の息子・吉孚(よしざね、よしのぶ)が14歳だったと思うので、ここから計算すると1698年。誘拐事件の黒幕が光貞で、1698年に光貞が隠居し・・・
時代劇の時代考証を検証(『水戸黄門』『忠臣蔵』など)2011年10月27日虚実歴史のブログ・・・死亡し、第2話で弥七が墓参りをしているが、墓には元禄三年とあり、1690年の設定になっている。3. 『水戸黄門』で光貞が光圀の甥で、光圀に平伏して・・・
『水戸黄門』の舞台が伊勢の松坂2011年10月18日虚実歴史のブログ・・・いた頼方と会っている(第38部第5話「暴れ若様まかり通る」)。さらの次の年、1698年(元禄11年)に紀伊大納言・光貞が隠居した。光圀が没して12・・・
『水戸黄門』第2部最終回と第37部最終回2011年10月14日虚実歴史のブログ・・・絶対化する思想の番組であった。では、紀伊と尾張は水戸の味方だったか。第37部最終回では御三家の一人・紀伊藩主・徳川光貞が黒幕となって、彼の手下のグ・・・
徳川光圀没年までの42年と『水戸黄門』放送期間の対照2011年10月11日虚実歴史のブログ・・・___1696↓┃2008↓___1697↓┃光圀70歳、5月に吉宗が江戸で綱吉に謁見2009↓___1698↓┃光貞が隠居2010↓___169・・・
『水戸黄門』関連書籍2011年09月29日虚実歴史のブログ・・・Y!Blog「水戸黄門の旅、最大の遠出は鎌倉」(『トリビアの泉』より)『歴史ドラマの大ウソ』で言及されている光圀と光貞の年齢水戸黄門漫遊せず - ・・・
『水戸黄門』における生類憐みの令2011年09月16日虚実歴史のブログ・・・で、所詮は綱吉の家臣同士の「茶碗の中の争い」である。 ここで尾張が中納言、紀伊が大納言であった。 第37部で紀伊光貞は吉孚を誘拐して水戸黄門家を・・・
