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- 徳川家の将軍の系図と世代2009年10月13日kyojitsurekishiのブログ・・・━━━━━┓02秀忠_________頼信>頼宣_┃__________┣━━━┓03家光_________光貞__頼純_┣━━┳━━━┓_・・・
- 徳川家将軍の世代数・系図形式2009年10月13日kyojitsurekishiのブログ・・・604_│03家光________┃___│_┃_________┣━━━━━┓1621~│_┣━━┳━━┓___光貞____┃1641~│04家・・・
- 将軍、水戸、尾張、紀伊徳川家と時代劇(隠密行動、忍び旅中心)2009年10月06日虚実歴史のブログ・・・平長七郎 └『長七郎江戸日記』徳川綱吉│徳川光圀│____│____│_____徳川綱吉│徳川綱條│____│徳川光貞│_____ 『水戸黄門・・・
- 徳川吉宗は光圀に会っていたかどうかという問題について追加2009年09月04日kyojitsurekishiのブログ・・・年4月、13歳の吉宗は将軍・綱吉に初めて謁見。さらに翌年、1697年4月、綱吉が江戸赤坂の紀伊徳川家上屋敷を訪れ、光貞は息子二人・綱教(つなのり)・・・
- 水戸・徳川光圀と紀州・徳川吉宗II2009年07月31日kyojitsurekishiのブログ・・・たはずだ。光圀が2代目水戸藩主だったのは1661年から1690年の30年間。光圀とほぼ同時代の2代目紀州藩主は徳川光貞。一方、5代目紀州藩主・徳川・・・
- 漫才ブーム当時の『水戸黄門』と『遠山の金さん』への批判2009年06月23日虚実歴史のブログ・・・ようとしたときで、光圀が源六を誘った結果、こうなったのである。これでは何人犠牲者が出たか想像もできない。源六の父・光貞は大納言で、中納言・光圀より・・・
- 『水戸黄門』に出てくる「副将軍」とはどういう役職か2009年05月28日kyojitsurekishiのブログ・・・戸黄門』を見るとわかるように、水戸光圀は中納言(厳密には権中納言らしい)尾張と紀伊が大納言であり、例えば吉宗の父・光貞は『水戸黄門』で「紀伊大納言・・・
- 徳川吉宗【人物】2008年09月24日kyojitsurekishiのブログ・・・えって強化されたようだ。もちろん「史実」では光圀は近畿地方を訪れてはいないようで、1697年に吉宗は兄たちとともに光貞に連れられて江戸城で5代将軍・・・
- 旧記事…徳川光圀【人物】2008年05月21日虚実歴史のブログ・・・で一時、行方不明となり、途中から弥七が再度合流。弥七は別行動が多く、アキはお娟とコンビニなった。最終回で吉宗の父・光貞が水戸藩を相手に事件を起こし・・・