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- 足利義満伝、平岩弓枝の『獅子の座』を読んでみた2024年05月28日しあぽんのいろいろ備忘録・・・門なのに、諸大名の勢力争いは京童の目にも余るものがあった[応仁の乱の火種は足利幕府発足時からあったのだ]。南朝軍(細川清氏、楠木正儀(まさのり)ら・・・
- 淡路 擁護山 成相寺2024年04月23日ゆめの跡に・・・48)44歳で死去、子の細川氏春が跡を継ぎ、淡路守護となった。康安元年(正平16・1361)和氏の子で細川氏5代・細川清氏が失脚し、若狭へ落ちる。・・・
- 紀伊 和佐山城2024年03月23日ゆめの跡に・・・門山に陣取る南朝方の四条隆俊(後に南朝の従一位・内大臣)と戦う(龍門山の戦い)。 延文5年(正平15・1360)細川清氏が義詮と対立して失脚する・・・
- 「歴史の回想・明徳の乱」家督・将軍職を義満に相続。 川村一彦2024年01月30日歴史の回想・川村一彦やがて政争で失脚した細川清氏などの有力武将が南朝勢力に加担し、正平16年/康安元年(1361年)12月には細川清氏や楠木正儀、石塔頼房らに京都を占・・・
- 「歴史の回想・明徳の乱」義満・有力大名の弱体化。 川村一彦2024年01月30日歴史の回想・川村一彦・・・た。 早速、河内や紀伊に出兵して南朝軍と交戦し赤坂城などを落とすが、一方幕府内では、正平16年(1361年)に細川清氏・畠山国清と対立した仁木・・・
- 「歴史の回想・明徳の乱」康暦の政変。 川村一彦2024年01月29日歴史の回想・川村一彦・・・院殿桂巌常久大居士。 江戸時代の逸話集『雑々拾遺』によれば幼くして聡明さを見せ、『細川三将略伝』によれば従兄の細川清氏と力比べをしたなどの幼少・・・
- 「歴史の回想・明徳の乱」将軍の権力強化。 川村一彦2024年01月29日歴史の回想・川村一彦・・・9年)に室町幕府管領・細川頼之が失脚した政変である。 室町幕府2代将軍足利義詮の頃には守護同士が対立し、執事の細川清氏などは失脚した後に南朝に・・・
- ●真田信繁の家系図②(真田之親。細川国弘)2024年01月21日マンタマンタのブログ・・・。愛知県岡崎市細川町へ移住)細川義俊(?~?)細川俊氏(?~?) 細川公頼 細川和氏 細川清氏 細川昌氏 ・・・
- 河内 持尾城2024年01月15日ゆめの跡に・・・れているが結構な距離だ。 正平15年(延文5・1360)将軍・足利義詮を大将とする関東執事・畠山国清や幕府執事・細川清氏らの攻勢を受け、3月には・・・
- Vol.942-2/3 R巻頭-54。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:29<古戦三十六・白峯寺>2024年01月14日akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記・・・.28 and 2017.07.22>史跡三十六(白峯合戦(しろみねかっせん)古戦場)この地を三十六と云い、細川清氏と従士36人憤死の地と伝・・・