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- 素心塾長(安倍神像神社の素心宮司)SNS講話(NO112) 「人物学 山田方谷」2024年01月13日素心のブログ(みたみわれ素心塾)・・・備中松山藩士」です。 子どものころから神童と呼ばれるほど才覚にあふれ 帰藩後は財政難に陥っていた藩政を、藩主・板倉勝静(いたくらかつきよ)のも・・・
- 【駅へのご招待 1】伯備線方谷駅(岡山県高梁市)2023年12月30日Pon-Chapeの部屋・・・なく、日当たりも良くないこの地では致し方ないところでもありましたが、藩の財政は十万両の借金という危機的状況でした。板倉勝静が藩主になると、勝静の教・・・
- 大鳥圭介の戊辰戦争。2023年12月29日lightning-3のブログ・・・走兵で構成される衝鋒隊(隊長、古屋作久左衛門)と合流。会津領を出ることを決める。9月12日、大鳥軍、福島宿に到着。板倉勝静、小笠原長行ら、かつての・・・
- 庄内藩致道⑫(終)2023年12月16日みつまめのLITTLE DOLLS for your life・・・キリ言って仙台藩は厄介払いしたかったようですね。もし来航がもっと早かったら戦局は変わっていたことでしょう。蝦夷には板倉勝静や小笠原明山の元老中から・・・
- 備中松山城をまもる2023年11月26日吉備の昔むかし・・・りあげた(1683年)。水谷氏が断絶した後、城主は安藤・石川と移り変わり、板倉氏の時に明治維新を迎える。幕末の藩主板倉勝静〈いたくらかつきよ〉は、・・・
- 常陸 松岡城2023年05月18日ゆめの跡に・・・に入港し、上洛中の将軍に代わり関東守備のためすぐに江戸に戻る。 慶応2年(1866)には朝廷の命令で上洛、老中・板倉勝静から水戸藩政を握る保守門・・・
- 2014/10/05 山田方谷と方谷駅2014年12月28日boro-door68のブログ・・・備中松山藩に勤め、困窮した藩財政を大胆な改革で、見事に立て直した人物で知られる。また、江戸幕府で老中を務める藩主・板倉勝静にさまざまな意見を伝え、・・・
- 『八重の桜』第20回「開戦!鳥羽伏見」感想2013年05月19日のぼこの庵・・・戦意を失って総崩れとなり、淀川を下って大坂へと逃れた。6日、開戦に積極的でなかったといわれる慶喜は僅かな側近と老中板倉勝静、老中酒井忠惇、会津藩主・・・
- 五箇条の御誓文と大政奉還上奏文2010年05月31日山伏の日々・・・出来ない。実に家康の再来をみるようである」木戸孝允最後の将軍慶喜は後年大政奉還についてこう語っている。「自分は老中板倉勝静等に、徳川家を相続するだ・・・