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- 山城 伏見 旅館 寺田屋2015年04月12日ゆめの跡に・・・年(1866)の伏見奉行の坂本龍馬ら襲撃事件である。 文久2年、藩兵千人を率いて上洛した藩主の父島津久光は当時は公武合体派で、西郷隆盛を遠島処分・・・
- もう一度読む 山川日本史2-②2015年03月31日Jandyの本棚 ビジネス書 自己啓発書 要約・・・ギリス、ロシア、オランダとも同様の条約をむすび、200年以上も続いた鎖国態勢が終わった。◎動揺する幕府・尊皇攘夷と公武合体(1854年~1860年・・・
- 『花燃ゆ』第3回「ついてない男」感想2015年01月18日のぼこの庵・・・らと会い薩長土三藩連合で近衛兵を創設する件を議し、桂小五郎とともに朝廷の尊王攘夷派の三条実美・姉小路公知らと結んで公武合体派の岩倉具視らを排斥し朝・・・
- 春の京都散歩・京都単身生活~3月2日2014年03月01日おっちゃんの毎日・・・安貴族風の女性の人形が飾られています。DVDでこのお寺の紹介をしているのだけど、これがなかなかわかりやすい。幕末に公武合体の象徴として活躍した和宮・・・
- 2014/01/26 東海道を下る(見晴らし茶屋→芦ノ湖)2014年02月22日boro-door68のブログ・・・影できそうである。 県道を横断すると、再び石畳道になる。 「白水坂」と呼ばれるこの辺りは、江戸時代の末期に公武合体政策で、皇女「和宮」が徳・・・
- 『八重の桜』第19回「慶喜の誤算」感想2013年05月12日のぼこの庵・・・。徳川慶喜の将軍辞職を勅許し、京畿における幕府方として朝廷と連携してきた会津藩・桑名藩を追うことで、慶喜が主導する公武合体の新政府を阻止する一方で・・・
- 『八重の桜』第11回「守護職を討て!」感想2013年03月17日のぼこの庵・・・は尊皇攘夷派・長州藩への対抗を通じて形成され、八月十八日の政変(1863年(文久3年))以降尊攘派が退潮し、さらに公武合体論に基づく有力諸侯による・・・
- 『八重の桜』第10回「池田屋事件」感想2013年03月10日のぼこの庵・・・密接な関係を持ち、姉小路公知と共に幕府に攘夷決行を求め、孝明天皇の大和行幸を企画した。文久3年(1863年)には、公武合体派の皇族・公卿と薩摩藩・・・・
- 『八重の桜』第9回「八月の動乱」感想2013年03月03日のぼこの庵・・・的同盟である。薩摩藩と長州藩は、京都を中心とする幕末の政治世界において雄藩として大きな影響力を持ったが、薩摩藩が、公武合体の立場から幕府の開国路線・・・
- 『八重の桜』第6回「会津の決意」感想2013年02月10日のぼこの庵・・・までは田安慶頼が、その後は慶喜が「将軍後見職」に就いていたため、その権力は抑制されていた。文久2年(1862年)に公武合体策の一環として和宮と結婚・・・