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古民家・庭園一覧(3)2012年06月25日蕎麦喰らいの日記・・・奈川姫の家 松代地区貞観園 柏崎市高柳町 貞観園(2) 柏崎市貞観園(3) 柏崎市貞観園(4) 午前の光貞観園 萩の花の頃貞観園 ・・・
紆余曲折・・八代領と宇土支藩の創立まで2012年01月18日津々堂のたわごと日録・・・候・・・室津にて御薙髪・・・3月21日熊本御着 ■ 寛永18年(1641)3月17日 細川忠利死去 5月5日光貞遺領相続 ■寛永19年(1・・・
忠興晩年の七年(天草島原の乱以後)2012年01月10日津々堂のたわごと日録・・・いう女子誕生ともいう 生年月日不詳)寛永18年(1641)3月17日 細川忠利死去 5月5日光貞遺領相続 19日江戸発・6月・・・
解説の間違い2011年11月24日津々堂のたわごと日録・・・のの写しである。藤孝についてはわずかの記事しかなく、忠興以下の事跡 を記すにとどまる。光尚はかつて光貞を称し、細川系図(続群書類従・・・
中国撰述説支持の撤回と以後の摸索: 曾根正人「飛鳥仏教と厩戸皇子の仏教と『三経義疏』」(2)2011年07月21日聖徳太子研究の最前線・・・るようになったのだ、講経にしても外国僧による講経を太子が主催したという程度なら「むしろ大いにありうる」、と説く井上光貞説でしょう。 検討すべきなの・・・
大山誠一「序論 『日本書紀』の解明に向けて」「記紀の編纂と」(1)2011年06月24日聖徳太子研究の最前線・・・。もう一歩進んで、百済・高句麗からの渡来僧たちの作成といった方向に移ったなら、それはまさに、大山氏の師であった井上光貞先生の説となりますね。井上先・・・
厩戸王を善玉、馬子を悪玉とする歴史小説風な聖徳太子論: 田村圓澄『飛鳥時代 倭から日本へ』2011年06月13日聖徳太子研究の最前線・・・北朝の作と見るのか、伝統説を裏付けた花山信勝・金治勇などの研究に基づいて南朝の注釈に基づく太子の作と見るのか、井上光貞説のように太子のもとでの朝鮮・・・
久志本家の墓2011年04月24日tanbo-jyunreiのブログ・・・裏山の墓地の中腹部に歴代の墓が並んでいます。墓碑は9基あり、中央に常勝[従五位下前左京亮度會常勝 神儀 齢昌院殿秋光貞圓大姉 靈位]、常倫[常倫寺・・・
山口県の苗字(といいつつ新選組ネタなのはなぜ)2011年01月15日長州に棲む日日・・・く使われます。諱っぽい苗字の一部には、こんなのがあります。姓ですよーコレ。有近 家重 岩政 義永 本広 光貞 村重 宗正 重松 ・・・
聖徳太子に関する古代史学本流派の見解:大津透『神話から歴史へ』2011年01月11日聖徳太子研究の最前線・・・あるように、大津氏独自の主張を打ち出すことはなく、戦後の諸研究を紹介するにとどまっています。 では、坂本太郎・井上光貞などの伝統を継ぐ東大日本史学・・・





