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■「近世畸人伝」から僧 南谷2014年07月21日津々堂のたわごと日録・・・頻なれば、又多聞院にうつり、惣代の任をもて江戸に往キ、時の権門松平美濃侯によりて廟の来由を記ル し、聞之ヲ。又明年丁丑九月、復古の宿志、古記等を写・・・
■熊本城炎上・・吉田如雪の日記から2014年06月25日津々堂のたわごと日録・・・聞録」という著がある。曾孫・吉田純二遍とあるが、私の手元にあるのは数葉の抜刷ならぬ抜コピーである。この日記は明治十丁丑年二月十七日から始まっており・・・
古典の季節表現 秋 九月下旬2013年09月25日monommeba33のブログ・・・暁方、舟に乗って、今津に帰着し、詩を披講した。(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)(長和四年九月)三十日、丁丑。例経(れいきょう)の供養を・・・
未刊の和田家文書に見る山田町2013年09月03日釜石の日々・・・千金の名湊を、太古においては、この地をアラハバキコタンと称した。」と書かれている。アラハバキコタンができたのは白雉丁丑年の年とある。7世紀半ば頃と・・・
熊本県立図書館蔵「佐田家文書」2013年07月18日津々堂のたわごと日録・・・より所々迄出方帳 安政四年十一月(佐田文書 13)覚 佐田(佐田文書 14)漫録(佐田文書 15)途旅中日記 文化丁丑秋七月(佐田文書 16)御参・・・
忠興公年表から(一)2013年06月22日津々堂のたわごと日録・・・長の命に因て明智光秀の女御嫁娶之約有之・天正四年(1576)丙子十一月、十四歳ニ而甲冑御召初・天正五年(1577)丁丑二月十五日、藤孝君貝塚の一揆・・・
中村錦之助伝~終戦後(その2)2012年09月10日sesame-1952のブログ昭和二十一年五月の東劇は菊五郎と吉右衛門の顔合せに幸四郎と宗十郎が加わった豪華な大歌舞伎だった。菊五郎の「喜撰」に錦之助は小坊主役で出演したほか、宇野・・・
サタデー日本史~高校日本史をゆるーく解説【 14.平安時代前期の政治史 】①2012年06月30日tanyのブログ・・・どころ〕は、山川も麗〔うるわ〕しく、四方〔よも〕の国の百姓の参出来〔まいりいでこ〕ん事も便りにして、云々」。十一月丁丑〔ひのとうし〕、詔す。「…中・・・
家康三女振姫の生母について2012年06月04日津々堂のたわごと日録・・・トスルハ誤ナリ良雲院ハ蒲生秀行ニ嫁シ後浅野長晟ニ嫁シ給フ姫君ノ母堂ニテ市川十郎右衛門(イニ十右衛門)女也寛永十四年丁丑三月十二日卒浅草西福寺ニ葬ル・・・
蒲江町史 掲載の庚申塔2012年05月03日stjstoneのブログ・・・(写真あり、4基並んだもののどれに該当するか不明) 1697.12.14.(銘の位置不明) 「庚申塔 /元禄丁丑年十二月十四日」(彫刻の位置・・・






